2011年4月2日土曜日

観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Soda: アメリカに差し出された毒まんじゅうを日本人がペロリと食べるまで。

観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Soda: アメリカに差し出された毒まんじゅうを日本人がペロリと食べるまで。: "「原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~」 NHK、1994年、44分 必見。アメリカが差し出した毒まんじゅうを日本人がペロリと食べるまで。そして今頃その毒が効いてきて、下痢やら嘔吐をして七転八倒していることについて。NHKは公共放送を自認するなら削除しないで..."

2011年3月31日木曜日

【『原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~』書き起こし】

【『原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~』書き起こし】


「NHK現代史スクープドキュメント」

制作:NHK(1994年)

動画: http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134#

【書き起こし】

 去年(1993年)12月、アメリカ政府は核開発に関わる、隠された事実を明らかにした(クリントン大統領の映像)。冷戦が本格化した1940年代後半から50年代、放射能の影響を調べる人体実験が行われていたというのである。

「プルトニウムの人体への注射」

「ベータ線に対する皮膚の反応」

 こうした中、アメリカはもう一つの巨大な実験を準備していた。

(水爆ブラボーの映像)

 1954年3月1日、アメリカは南太平洋ビキニ環礁で「水爆ブラボー」の爆発実験を行った。この実験で放出された「死の灰」が、近くで操業中のマグロ延縄(はえなわ)漁船、第5福竜丸に降り注ぎ、乗組員23人が被曝した。いわゆる「第5福竜丸事件」である。広島、長崎に次ぐ3回目の被曝事件として、日本では激しい反米世論と放射能パニックが巻き起こった。

 この頃、一人のアメリカ人が銀座で日本人と密談を交わしていた。二人は、日米関係に亀裂が入ることを恐れ、ある計画を具体化すべく協力を約束した。それが日本に原子力を導入する重要なステップとなっていった。

 日本人の名は柴田秀利、当時日本テレビの重役であった。柴田は日本の初期の原子力開発に関わる膨大な書類を残している。

(数々の書類のアップ)
 政財界の要人の連絡先を記した手帳。アメリカとの頻繁な書簡の往復。そして、政府側の内部文書などその数は200点を超える。

 そこからは日米が手を組み、反核感情が高まる日本に原子力発電を導入するまでのシナリオが鮮明に浮かび上がってくる。

「毒は毒をもって毒を制する」(印刷文字のアップ)

(タイトルテロップ)"原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~"

 原爆でアメリカに後れをとったソビエトは1950年代、水爆の開発に躍起になっていた。そして、1953年8月12日。ソビエトはアメリカに先んじて実用的な水爆の開発に成功した(第1回水爆実験)。核開発競争で初めてソビエトが優位に立ったのである。

 4ヶ月後、アメリカのアイゼンハワー大統領は、国連総会で世界に向けて演説を行った。それは、原子力の情報を全て機密扱いにしてきた従来の政策を大きく転換するものであった。

(1953年12月8日国連にて)

アイゼンハワー大統領:「私は提案したい。原子力技術を持つ各国政府は、蓄えている天然ウラン、濃縮ウランなどの核物質を、国際原子力機関(IAEA)を作り、そこにあずけよう。そしてこの機関は、核物質を平和目的のために、各国共同で使う方法を考えてゆくことにする。」

 アトムズ・フォー・ピース、「原子力の平和利用」を呼びかけたこの提案は、画期的な核軍縮提案と見られた。

 ウラン鉱物の中に含まれる、核分裂性物質ウラン235。その濃度を上げた、いわゆる「濃縮ウラン」が核兵器に使われる。アメリカの提案は、核兵器用に生産した濃縮ウランを、原発など民間に転用することにより、軍縮を進めようというものであった。

 しかし、この提案の裏にはアメリカの核戦略におけるもう一つの大転換があった。演説の5日前に開かれたアメリカ国家安全保障会議の文書(「1953年12月4日」の日付入り)にはこう書かれている。

「アメリカは同盟国に対して、核兵器の効果(Weapons Effects)、核兵器の使用法(Use of Atomic Weapons)、ソ連の核戦力(Soviet Atomic Capabilities)等について、情報を公表していくべきである。」

 それは、NATOなど同盟諸国に、アメリカの核兵器を配備しようとする計画であった。平和利用を呼びかける一方で、西側諸国の核武装を進めていたのである。

 ソビエトはアメリカの二枚舌を非難して、原水爆の無条件禁止を世界に訴えた。そして、米ソは互いに核の脅威を煽り立てる宣伝合戦を繰り広げていく。

ソ連の国内向け宣伝映画:「(原爆の映像)これが原爆です。巨大な爆発力を持つ原爆は、アメリカによって第二次大戦で初めて使用されました。いかにしてアメリカはソビエトとの戦争に勝利するか、そんな内容の雑誌が、アメリカでは発行されています。すでに1945年以来ずっとワシントンでは、ソビエトとの核戦争に備える動きがあったのです。」

アメリカの国内向け宣伝映画:「(原爆の映像)原爆だ! 頭を下げて隠れろ! (コーラスが流れる)♪頭を下げて隠れろ♪頭を下げて隠れろ…」

 アメリカは、海外での広報宣伝活動を強化するため、海外各地に広報文化交流局、いわゆる「USIS」を置いた。東京には、当時虎ノ門のアメリカ大使館別館にUSISが設置されていた。USISは、新聞や放送、映画等のメディアを通じて、アメリカの原子力平和利用計画の宣伝を進めていった。

元USIS局次長ルイス・シュミット:「われわれUSISは、日本での原子力平和利用の宣伝活動に特に力を入れました。日本は原爆が投下された唯一の国であり、いかなる形の原子力計画に対しても反発していたからです。」

 アメリカは、原子力平和利用計画を推進する一方で、ソビエトを凌ぐ水爆の開発に全力を上げていた。アイゼンハワーの演説からわずか3ヶ月後の1954年3月、ビキニ環礁で秘密裏に水爆実験「キャッスル作戦」が実行された。

(水爆ブラボー、1954年3月1日の映像)

 秘密だったはずの実験は、第5福竜丸の被曝事件によって世界中に知れ渡った。やがて、ビキニ近海で獲れたマグロから放射能が検出され始めた。食料品の汚染は国民の不安をかき立て、アメリカの核実験に対する反発が強まった。さらに、雨からも微量の放射能が検出され、野菜や牛乳等にも汚染の疑いが起こり、放射能パニックが広がっていった。

 原爆の日を迎えた広島でも、アメリカに対する非難の声が相次いだ。

広島市民の声「アメリカは人道支援などと言っておるけれども、何が人道支援が唱えられるんだ。原爆というものはもう、この世からないようにしてしまったらええ。」

元USIS局次長ルイス・シュミット:「私たちがせっかく積み重ねてきた努力も水の泡になってしまいそうでした。まったく最悪の事態だったと言ってもいいでしょう。第5福竜丸事件の後、日本人はアメリカの原子力平和利用計画にさらに疑いを強めるようになってしまったのです。」

 柴田秀利(ひでとし)は、反米に傾いた世論の動向を危惧していた。柴田は、このビキニ事件が起こした大きな波紋を次のように記している。

「日本は唯一の被爆国であり、こと原子力というと、たちまち人々の神経は苛立ち、怒髪、天を衝く。原爆アレルギーの最たる国である。日本人全体の恨みと怒りは、それこそキノコ雲のように膨れあがり、爆発した。その動きを見逃す手はない。たちまち共産党の巧みな心理戦争の餌食にされ、一大政治運動と化した。」(柴田秀利の手記より)

 柴田は、吉田総理大臣を始めとする政財界の上層部に通じていた。また、国内のみならず、アメリカにも多くの人脈を持っていた。

(柴田とアイゼンハワー大統領とのツーショット写真)

 戦後最大の労働争議の一つと言われた読売争議。柴田はその中で頭角を現した。GHQの担当記者だった柴田は、GHQ幹部を動かして、組合側の要求を抑え、経営側を勝利に導いた。柴田は、社主・正力松太郎の懐刀(ふところがたな)として次第に重用されるようになった。そして、日本テレビの創設に深く関わり、GHQの人脈をもとに、アメリカとの交渉に辣腕を振るったのである。

 手記によれば、柴田は第5福竜丸事件の後、銀座の寿司屋で一人のアメリカ人と接触を重ねていた。

「このまま放っておいたら、せっかく営々として築き上げてきたアメリカとの友好関係に決定的な破局を招く。日米双方とも対応に苦慮する日々が続いた。このときアメリカを代表して出てきたのが、D・S・ワトソンという、私と同年輩の、肩書きを明かさない男だった。私は告げた。『日本には毒をもって毒を制するという諺がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳い上げ、希望を与える他はない。』」(柴田秀利の手記より)

 柴田の書簡にも名前の登場する、ダニエル・S・ワトソン(Mr. Daniel S. Watson)。ワトソンとはいったい何者だろうか? 

 アメリカ・コネチカット州にかつてワトソンと同僚だった人物がいた。彼は匿名を条件に電話インタビューに応じた。

「なぜワトソンを知っているのですか?」

「同じ時期に東京に駐在し、政府のために働いていたからだ」

「ワトソンは心理戦略などに関わっていましたか?」

「そのとおりだ」

「情報は、国家安全保障会議などに届けられていたのですか?」

「そのとおりだ。当時は、アイゼンハワー政権の時代で、大統領は原子力平和利用計画には特別熱心だったからね」

「すると、原子力平和利用計画についての情報は…」

「情報は、かなり高いレベルの所に届けられていたよ」

 ワトソンはメキシコに住居を移していた。メキシコ南部にある、クエルナバーカ。メキシコ屈指の高級保養地クエルナバーカに、ワトソンは今も健在であった。ワトソンは日本での活動を終えた後、パキスタン、香港、ベトナムなどでアメリカ政府のために働いたという。しかし、彼は所属機関や日本での仕事の目的については決して明かそうとしなかった。

ダニエル・ワトソン:「私が政府のどの組織に属して、どこに報告していたのかは、当時柴田にも伝えませんでした。日本に来ている公式の目的についても同じです。柴田も、私に対して同様の態度をとっていました。私が言えるのはそれだけです。柴田は明らかに首相官邸と連絡を取り合っていました。私は、日本の首相から出された様々な提案を、柴田を通じて受け取っていました。私は非常に驚きました。それはテレビ局の重役がするような提案ではなかったからです。全くレベルの違うものでした。」

(資料コピーのアップ)

 対日政策の進行状況を記した当時の国務省の報告書。第5福竜丸事件後の対日政策について、次のように記されている。

「核兵器に対する日本人の過剰な反応ぶりは、日米関係にとって好ましくない。核実験の続行は困難になり、原子力平和利用計画にも支障を来す可能性がある。そのために、<日本に対する心理戦略計画>をもう一度見直す必要がある。」(国務省報告書より)

 ワトソン自身の説明によると、彼は1953年6月に来日した。やがて、当時のイギリスの『サンデー・タイムス』の東京特派員を通じて、柴田秀利と知り合った。目的は、読売新聞社主・正力松太郎に近づくことであった。

ダニエル・ワトソン:「日本では、新聞を押さえることが必要だとはっきり分かっていました。それも、大きな新聞をです。日本の社会は、新聞に大きく影響を受けます。日本人は一日に最低3紙に目を通し、それから自分の意見を組み立てるのです。その新聞は、当時一人の男によって経営されていました。その下には、決してミスをしない、優秀で従順な部下が揃っていました。ですから、この仕事で成果を上げるには、誰よりも先に正力さんに会って話をした方がいいと思いました。」

 当時の読売新聞社主・正力松太郎。内務省の警察官僚だった正力は、大正13年、官職を退いて読売新聞の経営に乗り出した。正力が買収したとき、発行部数わずか5万部あまりだった読売新聞は、正力の斬新な企画力と紙面改革によって、急速に部数を拡大した。

 昭和28年、正力は新たな事業拡大に乗り出した。日本初の民間テレビ局、日本テレビ放送網を創設したのである。街頭テレビのプロレス中継は爆発的なブームを呼んだ。読売新聞の発行部数は、このとき300万部に迫ろうとしていた。正力は、新聞とテレビの二大メディアを手中に収めていたのである。

 ワトソンは、柴田の仲介で正力松太郎と会談する機会を持った。ワトソンによれば、会談は第5福竜丸事件が起きる前からすでに行われていたという。

ダニエル・ワトソン:「正力は実に鋭い男で、的確な質問をしてきました。 私はすぐに本題に入り、原子力の平和利用について話をしました。日本は原子力の平和利用に打ってつけの国である。なぜなら、国内にエネルギー源がほとんどない。それが私の話のポイントでした。するとそれを聞いていた正力は目を輝かせたのです。」

 なぜ、このとき正力は原子力にそれほどの興味を示したのだろうか。

通産省工業技術院初代原子力課長・堀純郎さん:「日本が非常に貧乏していると。貧困の結果、共産化するかもしれないと。特にエネルギーが不足していると。そのために貧乏して共産化する恐れがあると。これを何とか防がなくちゃいかんと。それには、将来原子力というものがエネルギー源として非常に有望だと聞いていると。だからこれを開発してエネルギーを豊富にして、貧乏を救済し、ひいては共産化を防ぎたいと。」

 アメリカの水爆実験から半年後、第5福竜丸の無線長だった久保山愛吉さんが死亡(1954年8月23日)。死因は放射能症とされた。アメリカを非難する世論はさらに高まった。

 水爆実験に対する日本人の強い反発にどう対処すべきか。アメリカの方針が列記されたホワイトハウスの文書には次のような一節がある。

「漁民の病気の原因は、放射能ではなく、飛び散った珊瑚礁の化学作用によるものとせよ。」(ホワイトハウスの文書より)

 水爆実験の責任をとろうとしないアメリカに対し、抗議運動が広がっていった。社会党や共産党など左翼勢力は、アメリカを戦争勢力と位置づけ、アメリカと結びついた保守政権に対する攻撃を強めていった。

 アメリカは日本の政治情勢に神経を尖らせていた。極東での反共の砦となるべき日本の政治基盤が安定しないことを懸念していたのである。

元国務相日本課リチャード・フィン:「アメリカに対して友好的だった吉田政権は、弱体化する一方でした。それに対し、左翼はアメリカの核実験を非難することによって勢力を増し、日本を乗っ取る危険性さえ生まれていました。」

 ソビエトもまた、こうした日本の情勢に注目していた。日ソの国交回復を果たし、日本をアメリカから引き離す好機と捉えていたのである。当時のフルシチョフ書記長は、ソビエトの対日政策について次のような証言を残している。

フルシチョフ書記長:「日本には、アメリカに対する大きな不満があった。広島と長崎に原爆を落としたのは、ほかならぬアメリカだ。被爆者やその家族、政治家は強い不満を持っていたのだ。もし、わがソビエトの大使館が東京にできれば、日本の政治に不満を持つこれらの人々が、われわれの大使館に接触してくるようになるだろう。」

 内外の政治情勢が緊迫する中、柴田はワトソンと銀座で会い、一つの計画を持ちかけた。それは、民間施設の形を取った「原子力平和使節団("Atoms-for-Peace" Mission)」をアメリカから招き、原子力の平和利用を広く一般国民にPRしようというものであった。

ダニエル・ワトソン:「柴田に、金はあるのかと訊ねると、十分にあると答えました。ではプロデュースをこちらでやろうかと言うと、それも自分たちでやるというのです。私もそれに賛成でした。そこで私はゼネラル・ダイナミクス社と連絡を取り始めたのです。」

 その年1月、アメリカは世界に先駆けて原子力潜水艦「ノーチラス」を完成させた(1954年1月21日、ノーチラス進水式)。ゼネラル・ダイナミクス社はその開発メーカーであった。ゼネラル・ダイナミクス社の社長ジョン・ホプキンスは、原子力平和利用計画に熱心で、海外での市場開拓を財界で提唱している人物であった。柴田は、アメリカのテレビ関係者などを通じてホプキンスと連絡を取り、平和使節として来日するよう正力の意向を伝えた。

「原子力平和利用の先覚者たる貴下の訪日こそは、この際期せずして、アメリカ側からする最も効果的な反撃となることは、小生の深く確信するところであります。」(手記より)

 明けて1955年。読売新聞は元日の朝刊に、アメリカ平和使節団の招聘を告げる社告を掲載した。これ以後5ヶ月に渡り、原子力平和利用のキャンペーン記事が、度々読売新聞紙上に登場することになる。

「読売も日本テレビも、共に原子力特別調査班を作り、両社を挙げて使節団受け入れの世論作りに邁進した。私は、新聞とテレビの両メディアを相呼応させて活用する本格的な大キャンペーン開始の時の来たことを確信し、精魂を傾けていった。」(手記より)

 この頃ソビエトは、世界初の商業用原子力発電所の稼働に成功し、アメリカを驚かせた(オブニンスク原発)。そして、諸外国に対し、原子力平和利用の技術援助を行う用意があることを明らかにした。

 アメリカでは、まだ最初の商業用原発の建設が始まったばかりだった。アメリカは大きな政策転換を図った。アイゼンハワーは原子力の国際管理案をいったん棚上げする。そして、西側友好国に対し、アメリカが個別に二国間で協定を結ぶという方針を打ち出したのである。アメリカは協定締結国に対し、濃縮ウランや原子力の技術情報を供与することになった。アメリカは濃縮ウランを外交カードとして、各国をアメリカの勢力下に置こうとしたのである。

 アメリカ原子力委員会は、日本政府とも原子力協定を結ぼうと、ワシントンで日本側に対する打診を行っていた。当時の原子力委員会国際部長ジョン・ホールは、日本政府と公式な交渉を始める時期を模索していた。

元・原子力委員会国際部長ジョン・ホール:「第5福竜丸事件のせいで日本人が神経過敏になっていることはよく分かっていました。第5福竜丸事件の決着と原子力協定の公式交渉の時期が重なるのは、避けるべきだと思いました。そこで、交渉の時期を遅らせて春にすべきだ、と私は提案しました。春ならば、交渉妥結後、すぐに議会の承認を得ることもできるからです。」

 昭和29年(1954年)、日本政府は2億3500万円の原子力研究予算を成立させていた。しかし、学会には原子力に対する反発が根強く、ウラン入手の目途すら立たない状況が続いていた。アメリカからの提案は、こうした状況に突破口を開くものだった。

 1月4日、第5福竜丸事件は、アメリカ政府が補償金200万ドルを日本政府に支払うことで決着した。アメリカの法的責任は一切問わないことを条件とする、政治決着であった。

 その1週間後の1月11日、日本政府に宛てて、アメリカから濃縮ウラン受け入れを打診する書類が届けられた。しかし、外務省はこのことを外部に対して一切秘密にした。

元外務相国際協力局第三課長・松井佐七郎さん:「みんな反対したんだよ。平和利用という名の下に軍事利用に走られたらかなわんという、意中の人があったからね。非常にその…何て言うか…、火の点きやすい、非常にその…ボラタイルな、発火しやすい議論でね。今から見ると何ちゅうことかと言うけど、当時やっぱりね、火を付けると両軍にぱーっと広がる背景があったからね。やっぱり相当慎重にね、足元を見て、一つ一つ辺りを見回していかざるを得なかったんですよ。」

 その3日後の1月14日、ソビエトは、中国、東欧5ヶ国(ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニア)に対して、原子力技術や濃縮ウランの援助を行うと発表した。ソビエトも独自に二国間協定を結び、核のブロックを作ろうとしたのである。

 一方、外務省がひた隠しにしていた、アメリカからの濃縮ウラン提供の申し入れは、3ヶ月後、朝日新聞のスクープによって明るみに出た(1955年4月14日朝日新聞朝刊)。以降、日本国内の世論は受け入れの是非をめぐって二つに割れている。1週間後に開かれた日本学術会議の総会でも、この問題をめぐって議論が沸騰した。受け入れに反対する科学者たちは、原子力を通じて日本がアメリカの軍事ブロックに組み込まれる可能性を指摘し、あくまで自主開発をすべきであると主張した。

 物理学者の武谷(たけたに)三男さん、武谷さんも当時濃縮ウラン受け入れに反対した一人である。

物理学者・武谷三男さん「そりゃもちろん、アメリカでのいろんな、やってることを見ててですね、あらゆることがヤバいと。つまり軍事との区別がないわけですよ、アメリカでは。英国でもそうですけどね、軍事のおこぼれが平和利用という格好になって、そういう出発ですからね。」

 柴田の資料に、学術会議のメンバーの思想傾向を調べた書類が残っていた。警察庁と公安調査庁調べと記され、1955年当時のものと推定される資料である。当時、共産党寄りと見なされた学者には赤丸が記されている。

 2月、正力松太郎は突如、富山2区から衆議院選に立候補をすることを表明した。正力は、保守合同による政局の安定と、原子力平和利用の推進を二大公約に掲げた。この選挙で正力は初当選し、原子力導入に向けた大きな足がかりを得たのである。

 正力は、早速財界に働きかけて「原子力平和利用懇談会」を発足させ、自ら代表世話人に就任した(1955年4月28日)。経団連の石川一郎会長を筆頭に、重工業、電力業界を始め、財界の主要メンバーが集まった。学会からも原子力の導入に積極的な科学者が集められ、平和使節団受け入れの準備が整えられていった。

ダニエル・ワトソン:「正力の存在がなければ、これだけの人は集まらなかったでしょう。特に科学者たちは、地位を失うことを恐れて、断れなかったように見えました。」

 当時日本では、慢性的な電力不足の解決のために大型ダムが次々に造られていた。しかし、建設費が次第に高騰し、水力発電の発電量は限界に近づいていた。火力発電所も、まだコストが高く、将来の石炭不足も予想されていた。産業界は新たなエネルギー源を模索していたのである。

 正力は、アメリカから提供されたデータを使って、水力や火力より原子力発電の方が経済的である、と財界を説得した。正力は原子力発電の安全性についても説明した。財界誌に発表された正力の文章には、「原子炉から出る死の灰も、食物の殺菌や動力機関の燃料に活用できる」と書かれている。

 一方、アメリカ国家安全保障会議は、海外との原子力協力について次のような方針を採用していた。

「向こう10年間に経済的に競争力のある原子力発電をすることは期待できない。しかし、ソビエトは原子力開発を急ピッチで進めており、アメリカが冷戦においてリーダーシップを奪われる可能性がある」。

 電力コストの高い日本は、最も有力なターゲットとしてここに挙げられている。

当時の読売新聞社ニュース映像:「ホプキンス氏一行来日――アメリカから読売新聞社が招いた原子力平和利用の民間使節、ホプキンス、ローレンス、ハフスタッドの三氏が5月9日来日、読売新聞社主・正力松太郎氏らと固い握手を交わし、花束を受けました。」

 使節団には、ノーベル賞を受賞した物理学者ローレンスら著名な科学者が随行し、話題を集めた。一行は鳩山総理大臣他、政財界の主要人物と精力的に会談を重ね、濃縮ウラン提供の前提となる、日米原子力協定の早期締結を促した。一方、国民へのPRのために、原子力平和利用大講演会が企画された(5月13日)。講演会は人気を集め、会場となった日比谷公会堂の周りには長蛇の列ができた。会場に入りきれない人のためには街頭テレビが設置され、講演の様子や、広報映画が映し出された。

アメリカの宣伝映画(アニメ風):「核分裂によって発生した熱が発電に使われます。アメリカでは、大型の原発を建設中で、完成すればすぐに全ての都市に電力を供給できるようになるでしょう。船や飛行機に原子力を使えば、輸送革命が起きるでしょう。原子力に対して、知性に基づく確固たる態度で臨むことは、原子力時代における子どもたちの未来に関わる問題なのです。」

「読売は2頁を割いてこの講演内容の全貌を掲載したし、テレビは娯楽番組を外してその全容を生中継し、国民大衆の啓蒙に資することができた。こうして、原爆に怯え、憎み、反対の狼煙(のろし)ばかりを上げ続けてきた日本に、初めて、毒は毒をもって制する平和利用への目を開かせるかけ声が全国にこだましたのだった。舞台裏に身を潜めながら、私は喜びと感動にうち震えていた。」(柴田秀利の手記より)

 政府側の動きも活発化していた。濃縮ウラン受け入れ問題を検討してきた原子力利用準備調査会は、5月19日会合を開き、受け入れを決議したのである。民間使節の動きと政府側の動きがここに一致した。

 政府の原子力利用準備調査会の初代事務局長となった、島村武久さん。

経済企画庁初代原子力室長・島村武久さん:「民間の使節なんだけども、何か政府が大いに応援したわけです。それは、日本に大いに原子力をやらせようというよりはむしろ、そういう政治情勢を見てですね、日本が変なことにならないようにというアメリカの考えもあったと思いますね。」

(当時のニュース映像)「日米原子力協定成る ワシントン NHK」

 6月21日、日米原子力協定がワシントンで仮調印された。第5福竜丸事件から1年3ヶ月後のことである。この条約により、日本に濃縮ウランが初めて供給されることになった。

 半年後、正力松太郎は、原子力担当大臣として第3次鳩山内閣に入閣した。その時正力は、アイゼンハワー大統領に向けて一通の手紙をしたためている。

「原子力平和利用使節団の来日が、日本での原子力に対する世論を変えるターニングポイントになり、政府をも動かす結果になりました。この事業こそは、現在の冷戦におけるわれわれの崇高な使命であると信じます。 正力松太郎」

当時のニュース映像(茨城県東海村):「原子炉完成式の日を迎えて、500人が参列して、原子力センターの出発を祝います。正力国務大臣(初代原子力委員長)が歴史的なスイッチを入れます。」

 昭和32年(1957年)8月20日、アメリカから輸入された東海村の原子炉が臨界に達した。日本の原子力開発がスタートした瞬間であった。

 しかし、日本で原子力による電力の供給が始まるのは、アメリカの予想した通り、ほぼ10年後の昭和41年(1966年)のことであった。

ダニエル・ワトソン:「日本は原子力を持たなければならなかったのです。原子力を理解し、最大限に利用する必要があったのです。プルトニウムの悪用さえしなければ。それは、われわれが最初ら望んだことでした。何の悔いもありません。」

 アメリカは1958年までに39ヶ国と原子力協定を結び、ソビエトに対抗していった。協定により、核物質の軍事転用は禁止された。それは、各国が米ソの核兵器ブロックの中に組み込まれていくことを意味していた。

 1957年、アメリカ国家安全保障会議に提出された報告書は、原子力平和利用計画を次のように評価している。

「過去3年、核実験に反対する激しいプロパガンダが行われたが、アメリカの立場は自由主義諸国の支持を得ることができた。原子力平和利用計画が果たした役割は計り知れないものがある。」(報告書より)

(IAEA憲章調印式の映像)

 アトムズ・フォー・ピース。アイゼンハワーは、核物質の国際管理と民間転用を訴えた。その4年後、国際原子力機関IAEAが発足。しかし、IAEAが直面したのは、むしろ平和利用を装った核兵器開発の疑惑であった。IAEAは、大国の核保有を認めたまま、核査察でも課題を抱え続けている。

 第5福竜丸事件から40年。原発は今日本の電力の3割を賄っている。日本はさらに今年(1994年)、プルトニウムを利用する高速増殖炉の実験に乗り出そうとしている。

 一方、アメリカでは、1979年のスリーマイル原発事故以来、新たな原発の発注は今も途絶えたままである。



資料提供:

アメリカ国公立文書館

アイゼンハワーライブラリー

コロンビア大学

アメリカ大使館

ロシア国立中央映像資料センター

国立国会図書館

第五福竜丸展示館

大門町立正力図書館

読売新聞社、毎日新聞社、共同通信社、中央公論社、読売映画社、日本テレビ放送網

柴田泰子、石井修、川上幸一、西山千、中村秀治、炭谷外治郎、ヴァーノン・ウェルシュ、アン・ヨーク



(終)

2011年3月26日土曜日

3.11.東日本大震災、東電原発事故

東日本大地震以降日本は様変わりした。

まず、三陸は津波で壊滅し、その影響で福島原発では東電原発事故と放射能放出で今なお危機的状態。

その影響で関東では計画停電に自粛ムード前回で経済的打撃をうけ日本自体がメルトダウン直前。
しかしそれより気になる流れが出来ている。

メディアの政府、東電を擁護的立場や、自衛隊による救助活動で自衛隊への賛美、贅沢は不謹慎みたいな風潮に水、農作物の放射能汚染・・・
この流れは戦前の様子のようで異様。
まず、自衛隊が働いて当然のことでは?逆に今まで何してたとは思わないのか?
奴らの給料は税金だよ?おかしな話だ。

それと水や農作物などの放射能汚染で、”ただちに人体に影響はない”などとメディアは報道しているが、その”ただちに”とはなにか?ようは将来的には人体に影響があるかも知れないというかとでは?メディアの劣化は相当に激しい。

そして東電原発事故の現状はというと・・・
もうレベル6。この先三号炉の燃料棒は溶解して漏れだしメルトダウンは時間の問題と見ている!
閉じ込める事が出来ない状態で放射能はダダ漏れ状態がスリーマイルと同等というアホな学者たちがTVで毎日言っているが、デタラメだろう。
それ以上の状態でおそらくレベル7になるだろう。
(TVは現場も見たことも無い大学教授なんか呼んでいるのが不思議で、なぜ原発の設計、エンジニアなどの人を出演させないのだろうか・・・)
まだチェルノブイリのほうが後始末がいいんじゃないかとも思う。
コンクリートで固める事も出来ず、永遠と何年も放水し冷却・・・
まあもうなるようにしかならないのが現状。

政治はこの先、管は失脚すると見てる。
首が変わって自民と大連立に行くのではないかと考えてる。
なんせ国難という大義名分もあるし救国内閣とでも言うものか。

そして放射能汚染のため食料難に直面し輸入強化、そのため関税緩和でTPPへと流れ込むんじゃないかと。
子供手当ては無くなり、東電が国営化し、税金、消費税は上がりと・・・
国会もトンデモ法案がポンポン通りメチャクチャになるのではと危惧してる。
そして自衛隊の賛美で自衛隊から軍隊復活となるんじゃないか?
もしそうなれば政治的には最悪のシナリオとなる。

それともう一つ、いまだ円高が続いてるが今の災害が落ち着いた頃に、近い将来に円安になると思っている。
もし円安になってのTPPはまったく意味が無い物と思ってる。

最後に計画停電での経済的打撃は計り知れない。
東京は自粛で街に活気はなく死んでる。その流れは地方まで飛び火し福岡でも活気はなく水が売り切れてるぐらい。
それら影響で失業者もかなり増えるだろうし、もし夏も続くとなれば経済も相当の被害になる。
そのなか東電は電気代値上げするというが、停電までさせてなおかつ停電とは何様のつもりか?!だから独占企業はダメなんだ!それなら国営化したほうがまだマシ。
東電の計画停電はただのテロだ!
原発がないと停電するというプロパガンダだ!

今回の3.11地震を9.11と結び付けた陰謀論がチラホラ出てきてるが、確かに不可思議な地震が起きてるのも事実.。
次は富士山、東海、東京湾なんかも上がってる。
この先日本のどこかにもう一度地震が起きて、政府の今後の対応では信じてみようと思う。

3.11地震以前の日本にはもう戻れないような気がしていて、経済大国としての日本はもう無いだろう。そしてこの先何があってもおかしくないほど今の日本はカオス状態だ。

2011年2月28日月曜日

【討論!】TPP問題と日本の行方[桜H23/2/26]

◆TPP問題と日本の行方


パネリスト:
関岡英之(ノンフィクション作家)
長尾たかし(衆議院議員・民主党)
中野剛志(京都大学助教)
東谷暁(ジャーナリスト)
藤井孝男(参議院議員・たちあがれ日本)
三橋貴明(作家・経済評論家)
山田俊男(参議院議員・自民党)
司会:水島総

米を食べると馬鹿になるというのはアメリカの日本人弱体化戦略のひとつだった!
しかも給食もアメリカのしたたかな戦略だった!

兎に角、観ればどれだけ大事かがわかる。
平成の開国ではなく、平成の売国だって事が。

どこかのブログで有利に交渉すればいいとかいってた薄ら馬鹿の平和ボケがいたがとんでもない。
だいたいアメリカとの交渉でどうやって有利に交渉が出来るというのか。
国の形さえ変える問題にそんなのん気な事言ってる奴は評論などやる資格なし!

兎に角 今の管新自由社会主義内閣を倒さなければならない!
予算も大事だがこのまま予算を通したら、管は辞めない!
そのためにも否決させ解散に追い詰めなければいけない。

もう右翼、左翼、親小沢、反小沢など言ってられない事態になってきたと思う。
この問題は日本の未来に係わる問題だ!!

もしTPPが成立すれば海外から安い賃金で働く奴らが日本で働き、その代わりに日本人が失業してしまい、近い将来エジプトみたいな動乱がここ日本でも起きるかも知れないと本当に思ってしまう自分が怖いです。

こんな恐ろしい問題を偉い学者や政治家たちがなぜ賛成するのか理解が出来ない。
オイラみたいな底辺の馬鹿でも理解が出来るのに・・・





2011年2月22日火曜日

倫理委員会での小沢一郎の主張

「倫理委員会の皆さんへ 私の主張」

平成二十三年二月二十二日
衆議院議員 小沢一郎
党倫理委員会の皆様、このような機会をいただいたことに心から感謝申し上げます。
一昨年来、私の政治資金管理団体にかかわる件について、国民の皆様、同志の皆様にご心配をおかけしていることを、まずもってお詫び申し上げます。
さて二月十四日の民主党役員会、十五日の常任幹事会において、元秘書が逮捕・起訴された事実について、私に対し検察審査会により起訴手続きがなされたことは「倫理規範に反する行為」に該当すると判断したとのことですが、本日は倫理委員会の皆様に私の考えをお伝えし、また委員の皆さんのご所見を伺いたく参りました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

一. 検察審査会の起訴と、通常の検察による起訴との違いについて

役員会・常任幹事会は、私が、収支報告書の虚偽記載につき共謀したという容疑が真実であるか否かにかかわらず、単に起訴されたという事実をもって処分の根拠としていますが、今回の検察審査会による起訴を通常の起訴と同視することはできないと考えます。
一連の問題に関し、一年余にわたる東京地検特捜部の徹底した捜査により、多数の書類を押収され、秘書・元秘書は身柄を拘束された上で取り調べを受け、私自身も四回にわたって事情聴取に応じてきました。結果、私については不起訴処分、さらに、一回目の検察審査会の起訴相当議決後の再捜査でも再び不起訴処分となりました。検察審査会の議決にある通り、検察審査会制度は「国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度である」とのことです。検察審査会の議決による起訴は、検察の起訴のように有罪の確信があって行うのではなく、法廷で「白黒」をつけるために行う、つまり迷ったから裁判の手続きに乗せようと、当の検察審査会自身が述べているわけです。
また今回、検察官役を担われる指定弁護士も、記者会見において「有罪だと確信したから起訴したのではない。議決があったから起訴した」「私たちの職務は必ずしも有罪だと確信したから起訴するのではなく、法令上、起訴しない条件がなかったから起訴した」と述べたと聞いており、今回の起訴の性格を指定弁護士自身の発言が物語っております。
この点について、倫理委員会の皆さんは、検察審査会による起訴手続きと、検察による通常の起訴の違いについて、どのようにお考えになっているのか、お伺いします。

二.検察審査会の起訴議決が有効であるか否かについて

役員会・常任幹事会は、今回の検察審査会の起訴議決に基づく起訴が有効であることを前提に処分の判断を行っていますが、そもそも検察審査会の起訴議決自体に手続違反があります。
東京第五検察審査会の二度目の議決には、不起訴になった事実以外も議決の対象となっております。つまり一回目の議決と二回目の議決の内容が異なっているのです。被擬事実でもないことについて審査の対象となるのであれば、いかなる無辜の民であっても審査の対象となり、いわれなき容疑によって強制的に起訴されることとなりかねません。公人中の公人であり公選による衆議院議員にとっては尚更であり、到底認められません。
私は、検察審査会の議決の有効性についても行政訴訟により争ってまいりました。この点につき、最高裁は、「刑事裁判の中で主張しうる」との判断を示しており、今後の刑事裁判の中で起訴議決の有効性自体についても争ってゆくこととなります。
さらに、起訴議決に至った最大の証拠である石川議員の供述調書についても、再捜査の取調べの際に担当検事の誘導等があったことを示す録音が存在しており、この供述調書の任意性、信用性が否定されれば公訴取消しも十分にあり得ます。
また検察審査会自体、議事録も公開されておらず、第一回目の議決の際と第二回目の議決の際の構成委員の平均年齢が、本来入れ替わっているはずであるにもかかわらず三十四・五五歳と同じであって、そもそも一千万都民の中から無作為抽出によって委員を選任した場合に、平均年齢が三十四・五五歳となる確率はほとんどゼロであることに加え、二度の審査委員会委員の平均年齢が同じとなることなど、偶然にしてもあり得るはずもないこと、審査補助員の弁護士に支払われた旅費の日付が、報道による審査補助員就任時期以前のものまで含まれており、ルールに則った審査が行われたかどうか疑わしいこと、議決前には担当検事による不起訴理由の説明が必要ですが、ほんとうに担当検事が議決前に検察審査会に出席したかどうか定かではないことなど、その経過も内容もまったく公開されておらず、全て秘密のベールにつつまれております。一千万都民のなかから無作為で選ばれたとされる十一人の検察審査会委員の素性はもちろん、審査の過程も明らかにされていないのであります。果たして検察審査会による議決が、「国民の責任」といえるだけの正当性を有しているのか、はなはだ疑問であります。
倫理委員会の皆様は、検察審査会の起訴議決の有効性について、どのように判断されているのか、お伺いします。

三.元秘書3名が逮捕・起訴されたことについて

役員会・常任幹事会は、元秘書三名が逮捕・起訴されたことを処分の理由としていますが、これまでは秘書がその容疑を認めた場合がほとんどであり、しかも秘書の逮捕・起訴を処分の理由にした例はないと記憶しております。
他方、私の元秘書三名は、一貫して無罪を主張して参りました。無罪を主張しているからこそ、他の秘書の件とは異なり、強制捜査の対象となり、現在は公判廷において無罪を争っているのであります。この中で先にも申し述べた通り、取調べの際に担当検事の誘導等があったことを示す録音が証拠として採用され、証拠をねつ造したとされる検事による調書の証拠採用が見送られるなど、裁判の今後の成り行きが注目される中、自らの罪を認めた秘書の事例と同列に私の問題を論ずることには違和感を憶えざるを得ません。
この点についての倫理委員会の皆さんのご所見をお伺いいたします。

四.衆議院政治倫理審査会への出席について

私は、昨年十二月末に政治倫理審査会への出席を言明いたしました。
私の弁護団は、刑事裁判中に政倫審に出席して自己に不利益な供述を求められることは、場合によっては裁判において不利益を被りかねず、憲法の人権保障の趣旨に反するとの意見でしたが、私は、国民生活に不可欠な予算の成立に必要であれば、党のために政治倫理審査会に出席すると申し上げたところであります。出席を拒否してはおりません。
政治倫理審査会が未だに開催されていないのは、国会運営上の都合によるものと思います。
倫理委員会の皆さんのご所見をうかがいます。


五.党員資格停止の不利益遡及について

私はもとより処分を受けるいわれはありませんが、今回の党員資格停止処分の期間について、「党員資格停止期間中の権利制限等の指針」によれば、最長六ヶ月とされているものを、一般職公務員の起訴休職を類推して「判決確定までの間」とされている点についても、前例はなく理解に苦しむところであります。党において規約や指針があるにもかかわらず、定められた以上に不利益を適用することは、法治国家のあり方からしても、また民主主義の国の政党のあり方としても、著しく不穏当であります。これでは規則や指針を定めている意味がありません。
倫理委員会の皆さんはこの点についてもどのようにお考えか、お聞かせください。

以上申し述べて参りました通り、私に対して発議されている今回の処分はいずれも前例がなく、なぜ私だけがこのような処分を受けるのか、合理的な理由は見当たりません。
倫理委員会におかれましては、ただ今申し上げました私の主張について、書面によりご回答下さいますようお願い申し上げます。

今後私は、全国民に開かれた法廷の場において、これまで通り真実を述べて参ります。
そして、何よりも、従来から様々な機会で申し上げてきたとおり、何一つ私自身やましいことはありません。これからの裁判において、私が無実であることは自ずと明らかになります。
私は、この二十年間、一貫して政権交代の必要性を主張してまいりました。そして国民の皆様のお力で、ついに民主党政権が誕生しました。しかしながら、「国民の生活が第一。」の政治は未だ実現しておらず、何千万もの国民の皆様とのお約束を中途半端にすることはできません。
今後は、弘中惇一郎弁護士を始めとする弁護団とともに、一刻も早く無罪判決を獲得して参ります。そして、引き続き民主党の国会議員として、「国民の生活が第一。」の政治を実現すべく、私の座右の銘である「百術は一誠に如かず」の言葉の通り、誠心誠意取り組んで行く決意であります。
何卒倫理委員会の皆様のご理解を賜りますようお願い申し上げます。

以上

2011年2月20日日曜日

TPP アメリカの本当の狙い







中央では絶対に取り上げない問題、TPP!
その正体は平成の開国ならぬ、平成の売国。
空き管政権はなにを考えてるのか、摩訶不思議。

TPPの裏側がここまで明らかになって
いまだ賛成してる人たちの頭を疑う。

円高ドル安で関税撤廃など何の意味もない!何の意味もない!
何の意味もない!何の意味もない!何の意味もない!

検察、最高裁再、官僚、メディア、そして管政権、民主執行部が小沢叩きをしている。
鈴木宗男は冤罪で刑務所、まさに平成の大獄。

新聞、TVなど嘘の塊!信じるな!!

2011年2月18日金曜日

「民主党政権交代に責任を持つ会」16人の有志が立ち上がる!

「今の菅政権は、国民との約束を果たす本来の民主党政権ではない」 今、民主党議員の多くが強くそう感じている。「国民の生活が第一」の政治理念は、おととしの衆議院総選挙での、民主党と国民との最大の約束だった。しかし今の菅政権ではどんな事態が進行しているだろうか。


 総選挙では、予算のムダを徹底的に削り、新たな政策の財源に充てるとしたマニフェストを掲げ、政権交代を実現した。しかし、「予算の総組み替えなどを行う」と主張していたのに、ほぼ手つかずの一方で、先週、菅総理大臣は、「衆議院の任期中上げない」としていた消費税については、「来年度末までに法的な対応をしなければいけない」と発言し、増税への意欲をあらわにした。

 菅政権は国民との約束、マニフェストを捨てたのである。

 また、政治家主導で日本を立て直すはずが、目玉とされた国家戦略局の設置法案は実現せず、公務員制度改革も反古(ほご)にされている。官僚に頼り放しだが、尖閣問題や北方領土問題など、もっとも政治主導であるべき案件で失敗すると官僚のせいにする。

 菅政権は政治主導の御(み)旗も捨てたのである。

 菅政権は、民主党の理念、そして「国民の生活が第一」という国民の皆様への約束をも捨て去ったのである。

 菅政権が本来の民主党の政策を捨て、本来の民主党の政治主導を捨て、本来の民主党の国民への約束を捨て去って省みないならば、それは国民が願いをかけた本来の民主党そのものを捨て去ることになる。

 そして、このことは、本来の民主党への支持の上に比例代表で当選した我(われ)々(われ)の存在意義すらも打ち消すことになる。

 我々は民主党と国民との約束の上に存在する比例代表の議員だからこそ、本来の民主党の姿とはかけ離れた今の菅政権にはもう黙ってはいられない。みすみす旧来からのしがらみにはまり込み、無原則に政策の修正を繰り返す菅政権に正当性はない。我々は今こそ「国民の生活が第一」の政策を発信し、国民の信頼を取り戻していかなければならない。

 しかし、我々は、民主党に対する信頼が地に落ちた今となっても民主党を捨てるつもりはない。歯を食いしばっても、国民との約束であるマニフェストの実現に取り組む我々こそが、本来の、そして真の民主党であるからだ。

 従って、我々は、国民との約束を果たす議員集団であることを、改めて国民の皆様に行動で示すために、衆議院での民主党・無所属クラブとは分かれ、新たに院内会派を設立する。そして同志一同が結束して、「国民の生活が第一」の政策を実行すべく今後、行動を展開していくこととする。

 2月17日 民主党・衆議院比例代表単独議員有志一同


◇会派離脱届を提出した比例選出議員


渡辺浩一郎(東京 <2>)
豊田潤多郎(近畿 <2>)
高松 和夫(東北 <1>)
菊池長右エ門( 同 )
石井  章(北関東<1>)
川口  浩( 同 )
水野 智彦(南関東<1>)
石田 三示( 同 )
相原 史乃( 同 )
川島智太郎(東京 <1>)
笠原多見子(東海 <1>)
三輪 信昭( 同 )
小林 正枝( 同 )
大山 昌宏( 同 )
熊谷 貞俊(近畿 <1>)
渡辺 義彦( 同 )

(敬称略、地区はブロック名、<>内の数字は当選回数)



Video streaming by Ustream

「民主党政権交代に責任を持つ会」幹事長・笠原多見子議員インタビュー

岩上安身IWJ

これで管政権は追い詰められた形になった。
岡田幹事長「驚いている。党の所属議員だけに会派離脱できないのは明白であり、理解に苦しむ」
理解に苦しむではなく理解したくないだ妥当だと思うが・・・

2011年2月17日木曜日

「五人組最高音頭」




「五人組最高音頭」


作詞 割屋検三郎 
作曲 西野 夢生 
歌 割屋検三郎 


俺は空き菅 権力者
小沢を外して ハイになる
どうでもいいんだ マニフェスト
切り札出すぞ 解散権
あ、それ!空き菅最高!(空き菅最高!)空き菅最高!(空き菅最高!)
空き菅日本の 皇帝だ

俺は岡田だ スーパーの倅
お地蔵様の 幹事長
俺は民主の 独裁者
誰にも文句は 言わせない
あ、それ!岡田は最高!(岡田は最高!)岡田は最高!(岡田は最高!)
最終兵器だ フランケン

俺は仙谷 黒幕だ
検察、司法は 俺のもの
小沢の排除は 任せとけ
これでも俺は 人権派
あ、それ!仙谷最高!(仙谷最高!)仙谷最高!(仙谷最高!)
内務大臣 阿波狸

俺は枝野だ 反中の闘士
出世街道 まっしぐら
カミさんのオヤジは 財団のおエラ
それでも仕分けが 生きがいだ
あ、それ!枝野は最高!(枝野は最高!)枝野は最高!(枝野は最高!)
枝野は日本の 猪八戒

俺は前原 お子様ランチ
マイケル・緑の カバン持ち
TPPは 貢物
次の総理にゃ 俺がなる
あ、それ!前原最高!(前原最高!)前原最高!(前原最高!)
前原日本の プリンスだ

INsideOUT 2/16(水)「アメリカとともに沈みゆく自由世界」





2011年2月16日水曜日

「経世会(旧田中派)」VS「清和会」























東京地検特捜部がこれまで摘発し失脚させた主な自民党政治家の名前を列挙したリストですが、すべて田中角栄元首相の流れを汲む「経世会」の政治家たちなのです。

対照的に岸信介元首相の流れを汲む「清和会」の政治家たちは誰一人として摘発されず全員が「安泰」なのです。

以下のリストをご覧ください(* の項目は私が原文に追加したものです)。

▲「経世会(旧田中派)」VS「清和会」(田中派)田中角栄 逮捕 ロッキード事件(←東京地検特捜部)
(経世会)竹下登  失脚 リクルート事件(←東京地検特捜部)
(経世会)金丸信失脚逮捕 佐川急便献金・脱税(←東京地検特捜部&国税) 
(経世会)中村喜四郎 逮捕   ゼネコン汚職 (←東京地検特捜部)
(経世会)小渕恵三 (急死)(←ミステリー)
(経世会)鈴木宗男 逮捕 斡旋収賄 (←東京地検特捜部)
(経世会)橋本龍太郎 議員辞職 日歯連贈賄事件(←東京地検特捜部)
(経世会)小沢一郎  西松不正献金事件 (←東京地検特捜部)
(経世会)二階俊博  西松不正献金事件 (←東京地検特捜部)

(清和会)岸信介    安泰
(清和会) 佐藤栄作   安泰 *
(清和会)福田赳夫   安泰
(中曽根派)中曽根康弘 安泰 *
(清和会)森 喜朗    安泰
(清和会)三塚 博   安泰
(清和会)塩川正十郎  安泰
(清和会)小泉純一郎  安泰 *
(民間) 竹中平蔵   安泰 *
(清和会)尾身幸次   安泰
(清和会) 安部晋太郎  安泰 *
(清和会) 福田康夫   安泰 *
(麻生派) 麻生太郎 安泰 *
(清和会) 中川秀直 安泰 *
(清和会) 町村 信孝 安泰 *

他方「経世会」をつくった田中角栄元首相は、1972年夏電撃的に中国を訪問して「日中国交正常化」を実現しました。また米石油メジャーの独占支配に抗し、日本独自のエネルギーや資源の確保に向けて積極的に「日の丸外交」を展開したのです。
同じ時期「米中国交正常化」を秘密裏に計画していたニクソン米大統領の特別補佐官キッシンジャーは田中角栄に先を越されたことに烈火のごとく怒り、「ジャップは最悪の裏切り者」と口汚くののしったと、解禁された米公文書に書かれています。
■「ジャップは最悪の裏切り者」 72年にキッシンジャー氏 共同通信 2006/5/26
http://www.asyura2.com/0601/senkyo22/msg/475.html 阿修羅掲示板より) 
▲結論

戦後の日本は見かけは独立国ですが実体は米国の植民地そのものであり続けてきました。

日本人が営々として築いてきた富は米国と日本人エージェントに収奪され続けてきたのです。日本人の生活は破壊され人権は侵害され続けてきたのです。

米国は米国の利益を第一に考える「清和会」系の政治家を代々日本の首相に据えてきました。

田中角栄氏などのように、米国の意向にそわない「経世会」系の政治家が国民の広範な支持で首相となり反米的な独自政策を実行し始めたとたん、米国はCIAや公安警察が集めた個人秘密情報を基にして東京地検特捜部に「国策捜査」を指示するのです。

日本の大手マスコミはCIAの支配下にありますので、東京地検特捜部の「国策捜査」に全面協力し「世論誘導」して「何も知らない国民」をだますのです。

現在進行中の東京地検特捜部による小沢民主党幹事長に対する異常とも言える「国策捜査」の背景には、米国と日本人エージェントの「小沢つぶし」と「民主党政権転覆」によって「新たな日本の支配体制」を確立する明確な意思があると思われます。

私たちが今なすべきことは、米国と日本人エージェントたちが死に物狂いで仕掛けている「小沢つぶし」→「民主党政権転覆」→「新たな日本支配体制確立」の意図を見抜き、大手マスコミの「世論誘導」にだまされずに東京地検特捜部の「国策捜査」を批判してつぶすことです。

私たちが今なすべきことは、せっかく政権交代を実現したのですから、民主党政権を米国と日本人エージェントたちの「謀略」から守り、「戦争」と「謀略」と「人権侵害」の国=米国から一刻も早く日本が「独立」するようにすべきです。

私たちが今なすべきことは、「日米安保条約」を即時に破棄して日本の国土から米軍基地を全面撤去させることです。

私たちが今なすべきことは、日本の国益ではなく、米国と自己の利益を第一に考え「謀略」に加担する日本人エージェントを特定して「彼ら」の責任を徹底的に追及することです。

2011年2月13日日曜日

日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎 - カレル・ヴァン・ウォルフレン #7

日米関係の重さ

日米関係に目を転じるならば、そこにもまたきわめて興味深い権力のダイナミクスが存在しており、日本に有利に事態の解決を図ることができると筆者は考えている。世界の二大先進パワーは、きわめてユニークな形で連携している。日米関係に類似したものは、世界のどこにも存在しないだろう。
鳩山が対米外交において失策を重ねていると批判する人々は、ことアメリカとの関係においては正常な外交というものが存在しない事実を見過ごしにしている。なぜならアメリカはこれまでも日本を、外交には不可欠な前提条件であるはずの真の主権国家だとは見なしてこなかったからである。そして日本は最後にはアメリカの望み通りに従うと、当然視されるようになってしまったのだ。鳩山政権は、これまで自民党が一度として直視しようとはしなかったこの現実に取り組む必要がある。
誰もがアメリカと日本は同盟関係にあると、当然のように口にする。しかし同盟関係の概念が正しく理解されているかどうかは疑わしい。同盟関係とは、二国もしくはそれ以上の独立国家が自主的に手を結ぶ関係である。ところがアメリカとの同盟関係なるものが生じた当時の日本には、それ以外の選択肢はなかった。第二次世界大戦後の占領期、アメリカは日本を実質的な保護国(注:他国の主権によって保護を受ける、国際法上の半主権国)とし、以後、一貫して日本をそのように扱い続けた。また最近ではアメリカは日本に他国での軍事支援活動に加わるよう要請している。実質的な保護国であることで、日本が多大な恩恵を被ったことは事実だ。日本が急速に貿易大国へと成長することができたのも、アメリカの戦略や外交上の保護下にあったからだ。
しかしこれまで日本が国際社会で果たしてきた主な役割が、アメリカの代理人としての行動であった事実は重い意味を持つ。つまり日本は、基本的な政治決定を行う能力を備えた強力な政府であることを他国に対して示す必要はなかった、ということだ。これについては、日本の病的と呼びたくなるほどの対米依存症と、日本には政治的な舵取りが欠如しているという観点から熟考する必要がある。民主党の主立った議員も、そしてもちろん小沢もそのことに気づいていると筆者には思われる。だからこそ政権を握った後、民主党は当然のごとく、真なる政治的中枢を打ち立て、従来のアメリカに依存する関係を刷新しようとしているのだ。
だが問題は厄介さを増しつつある。なぜなら今日のアメリカは戦闘的な国家主義者たちによって牛耳られるようになってしまったからだ。アメリカが、中国を封じ込めるための軍事包囲網の増強を含め、新しい世界の現実に対処するための計画を推進していることは、歴然としている。そしてその計画の一翼を担う存在として、アメリカは日本をあてにしているのである。
かくしてアメリカにとって沖縄に米軍基地があることは重要であり、そのことにアメリカ政府はこだわるのである。しかしアメリカという軍事帝国を維持するために、それほどの土地と金を提供しなければならない理由が日本側にあるだろうか? 日本の人々の心に染み付いた、アメリカが日本を守ってくれなくなったらどうなる、という恐怖心は、一九八九年以来、一変してしまった世界の状況から考えて、ナイーブな思考だとしか評しようがない。
筆者は、日本がアメリカを必要としている以上に、アメリカが日本を必要としているという事実に気づいている日本人がほとんどいないことに常に驚かされる。とりわけ日本がどれほど米ドルの価値を支えるのに重要な役割を果たしてきたかを考えれば、そう思わざるを得ない。しかもヨーロッパの状況からも明らかなように、アメリカが本当に日本を保護してくれるのかどうかは、きわめて疑わしい。
まったく取るに足らない些細な出来事が、何か強大なものを動揺させるとすれば、それはそこに脅しという権力がからんでいるからだ。アメリカが日本に対して権力を振るうことができるとすれば、それは多くの日本人がアメリカに脅されているからだ。彼らは日本が身ぐるみはがれて、将来、敵対国に対してなすすべもなく見捨てられるのではないか、と恐れているのだ。
そして日本の検察は、メディアを使って野心的な政治家に脅しをかけることで、よりよい民主国家を目指す日本の歩みを頓挫させかねない力を持っている。
この両者は、日本の利益を考えれば、大いなる不幸と称するよりない方向性を目指し、結託している。なぜなら日本を、官僚ではなく、あるいは正当な権力を強奪する者でもない、国民の、国民による、そして国民のための完全なる主権国家にすべく、あらゆる政党の良識ある政治家たちが力を合わせなければならない、いまというこの重大な時に、検察はただ利己的な、自己中心的な利益のみを追求しているからである。そしてその利益とは、健全な国家政治はどうあるべきか、などということについては一顧だにせず、ただ旧態依然とした体制を厳格に維持することに他ならないのである。
日本のメディアはどうかと言えば、無意識のうちに(あるいは故意に?)、現政権が失敗すれば、沖縄の米軍基地問題に関して自国の主張を押し通せると望むアメリカ政府の意向に協力する形で、小沢のみならず鳩山をもあげつらい(やったこと、やらなかったことなど、不品行と思われることであれば何でも)、彼らの辞任を促すような状況に与する一方である。しかし彼らが辞任するようなことがあれば、国民のための主権国家を目指す日本の取り組みは、大きな後退を余儀なくされることは言うまでもない。
日本の新政権が牽制しようとしている非公式の政治システムには、さまざまな脅しの機能が埋め込まれている。何か事が起きれば、ほぼ自動的に作動するその機能とは超法規的権力の行使である。このような歴史的な経緯があったからこそ、有権者によって選ばれた政治家たちは簡単に脅しに屈してきた。
ところで、前述のクリントンとゲーツが日本に与えたメッセージの内容にも、姿勢にも、日本人を威嚇しようとする意図があらわれていた。しかし鳩山政権にとっては、アメリカの脅しに屈しないことが、きわめて重要である。日本に有利に問題を解決するには、しばらくの間は問題を放置してあえて何もせず、それよりも将来の日米関係という基本的な論議を重ねていくことを優先させるべきである。
アメリカがこの問題について、相当の譲歩をせず、また日米両国が共に問題について真剣に熟考しないうちは、たとえ日本が五月と定められた期限内に決着をつけることができなかったとしても、日本に不利なことは何ひとつ起こりはしない。
それより鳩山政権にとっては、国内的な脅しに対処することの方が困難である。普通、このような脅しに対しては、脅す側の動機や戦略、戦法を暴くことで、応戦するしかない。心ある政治家が検察を批判することはたやすいことではない。すぐに「検察の捜査への介入」だと批判されるのがおちだからだ。つまり検察の権力の悪用に対抗し得るのは、独立した、社会の監視者として目を光らせるメディアしかないということになる。
日本のメディアは自由な立場にある。しかし真の主権国家の中に、より健全な民主主義をはぐくもうとするならば、日本のメディアは現在のようにスキャンダルを追いかけ、果てはそれを生み出すことに血道を上げるのを止め、国内と国際政治の良識ある観察者とならなければならない。そして自らに備わる力の正しい用い方を習得すべきである。さらに政治改革を求め、選挙で一票を投じた日本の市民は、一歩退いて、いま起こりつつあることは一体何であるのかをよく理解し、メディアにも正しい認識に基づいた報道をするよう求めるべきなのである。

日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎 - カレル・ヴァン・ウォルフレン #6

何が日本にとって不幸なのか

中立的な立場から見れば、きわめて些細なことであるのに、それが非常に強大な存在を動揺させる場合、それはあなたが非常に強い力を有している証左である。いま日本の置かれた状況に目を向けている我々は、権力とはかくも変化しやすいものだという事実を考える必要がある。昨年、日本では、一九五〇年代以来、最大規模の権力の移転が起きた。そして民主党は、いくつかの事柄に関して、もはや二度と後戻りすることができないほどに、それらを決定的に変えた。しかしながら、だからといって民主党の権力が強化されたわけではない。民主党はこれからもたび重なる試練に立ち向かわねばならぬだろう。
もし鳩山内閣が道半ばにして退陣するようなことがあれば、それは日本にとって非常に不幸である。自民党が政権を握り、毎年のように首相が交代していた時期、一体何がなされたというのか? もし、またしても「椅子取りゲーム」よろしく、首相の顔ぶれが次々と意味もなく代わるような状況に後退することがあっては、日本の政治の未来に有益であるはずがない。
民主党の力を確立するためには、当然、何をもって重要事項とするかをはき違えた検察に対処しなければならず、また検察がリークする情報に飢えた獣のごとく群がるジャーナリストたちにも対応しなければなるまい。小沢が初めて検察の標的になったのは、昨年の五月、西松建設疑惑問題に関連して、公設秘書が逮捕された事件であり、彼は民主党代表を辞任し、首相になるチャンスを見送った。
そのとき、もし検察が「同じ基準を我々すべてに適用するというのであれば」国会はほぼ空っぽになってしまうだろう、という何人かの国会議員のコメントが報じられていたのを筆者は記憶している。確かに検察は、理論的には自民党政権時代のように、たとえば国会の半分ほどを空にする力を持っていた。だが、もし検察が本当にそのような愚挙に出たとしたら、そんな権力は持続性を持つはずはない。そのような事態が発生すれば、新聞を含む日本の誰もが、検察の行動は常軌を逸していると断じるだろうからだ。
このように考えると、ここに権力の重要な一面があらわれているように思われる。権力とは決して絶対的なものではない。それはどこか捉えどころのないものである。はっきりした概念としてはきわめて掴みにくいものなのである。それはニュートン物理学に何らかの形でかかわる物質によって構築されているわけでもない。権力の大きさは測ることもできなければ、数え上げることも、あるいは数列であらわすこともできない。権力を数値であらわそうとした政治学者が過去にはいたが、そのような試みは無残にも失敗した。これは影響力とも違う。影響力は計測することができるからだ。権力は、主にそれを行使する相手という媒介を通じて生じる。対象となるのは個人に限らず、グループである場合もあるだろう(相手があって生じるという意味で、権力はともすれば愛に似ている)。
近年の歴史を見れば、そのことがよくわかる。冷戦が終結する直前の旧ソ連の権威はどうなったか? 強大な権力機構があの国には存在していたではないか。そして誰もがその権力は揺るぎないものと見なしていたのではなかったか。その力ゆえに、第二次世界大戦後の地政学上の構図が形作られたのではなかったか。
ところが小さな出来事がきっかけとなってベルリンの壁が崩れた。ほどなくして、長きにわたり東欧諸国を縛り付けてきた、モスクワの強大な権力が消失した。それが消えるのに一週間とかからなかった。なぜか? なぜならモスクワの権力とは人々の恐怖、強大な旧ソ連の軍事力に対する恐れを源として生じていたからだ。ところがミハイル・ゴルバチョフは事態を食い止めるために武力を行使しないと述べ、現実にそれが言葉通りに実行されるとわかるや、旧ソ連の権力は突然、跡形もなく消え失せた。
いま我々が日本で目撃しつつあり、今後も続くであろうこととは、まさに権力闘争である。これは真の改革を望む政治家たちと、旧態依然とした体制こそ神聖なものであると信じるキャリア官僚たちとの戦いである。しかしキャリア官僚たちの権力など、ひとたび新聞の論説委員やテレビに登場する評論家たちが、いま日本の目の前に開かれた素晴らしい政治の可能性に対して好意を示すや否や、氷や雪のようにたちまち溶けてなくなってしまう。世の中のことに関心がある人間ならば、そして多少なりとも日本に対して愛国心のある日本人であるならば、新しい可能性に関心を向けることは、さほど難しいことではあるまい。

日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎 - カレル・ヴァン・ウォルフレン #5

踏み絵となった普天間問題

民主党の行く手に立ち塞がる、もうひとつの重要な障害、日米関係に対しても、メディアはしかるべき関心を寄せてはいない。これまで誰もが両国の関係を当然のものと見なしてきたが、そこには問題があった。それはアメリカ政府がこれまで日本を完全な独立国家として扱ってはこなかったことである。ところが鳩山政権は、この古い状況を根本的に変えてしまい、いまやこの問題について公然と議論できるようになった。この事実は、以前のような状況に戻ることは二度とない、ということを意味している。
しかしオバマ政権はいまだに非自民党政権を受け入れることができずにいる。そのような姿勢を雄弁に物語るのが、選挙前後に発表されたヒラリー・クリントン国務長官やロバート・ゲーツ国防長官らの厳しいメッセージであろう。沖縄にあるアメリカ海兵隊の基地移設問題は、アメリカ政府によって、誰がボスであるか新しい政権が理解しているかどうかを試す、テストケースにされてしまった。
アメリカ政府を含め、世界各国は長い間、日本が国際社会の中でより積極的な役割を果たすよう望んできた。日本の経済力はアメリカやヨーロッパの産業界の運命を変えてしまい、またその他の地域に対しても多大な影響を及ぼした。ところが、地政学的な観点からして、あるいは外交面において、日本は実に影が薄かった。「経済大国であっても政治小国」という、かつて日本に与えられたラベルに諸外国は慣れてしまった。そして、そのような偏った国際社会でのあり方は望ましくなく、是正しなければいけないと新政府が声を上げ始めたいまになって、アメリカ人たちは軍事基地のことでひたすら愚痴をこぼす始末なのだ。
日本の検察が、法に違反したとして小沢を執拗に追及する一方、アメリカは二〇〇六年に自民党に承諾させたことを実行せよと迫り続けている。このふたつの事柄からは、ある共通点が浮かび上がる。両者には平衡感覚とでもいうものが欠落しているのである。
長い間留守にした後で、日本に戻ってきた昨年の十二月から今年の二月まで、大新聞の見出しを追っていると、各紙の論調はまるで、小沢が人殺しでもしたあげく、有罪判決を逃れようとしてでもいるかのように責め立てていると、筆者には感じられる。小沢の秘書が資金管理団体の土地購入を巡って、虚偽記載をしたというこの手の事件は、他の民主主義国家であれば、その取り調べを行うのに、これほど騒ぎ立てることはない。まして我々がいま目撃しているような、小沢をさらし者にし、それを正当化するほどの重要性など全くない。しかも検察は�疑不十分で小沢に対して起訴することを断念せざるを得なかったのである。なぜそれをこれほどまでに極端に騒ぎ立てるのか、全く理解に苦しむ。検察はバランス感覚を著しく欠いているのではないか、と考えざるを得なくなる。
しかもこのような比較的些細なことを理由に民主党の最初の内閣が退陣するのではないか、という憶測が生まれ、ほぼ連日にわたって小沢は辞任すべきだという世論なるものが新聞の第一面に掲載されている様子を見ていると、たまに日本に戻ってきた筆者のような人間には、まるで風邪をひいて発熱した患者の体温が、昨日は上がった、今日は下がったと、新聞がそのつど大騒ぎを繰り広げているようにしか思えず、一体、日本の政治はどうなってしまったのかと、愕然とさせられるのである。つい最近、筆者が目にした日本の主だった新聞の社説も、たとえ証拠が不十分だったとしても小沢が無実であるという意味ではない、と言わんばかりの論調で書かれていた。これを読むとまるで個人的な恨みでもあるのだろうかと首を傾げたくなる。日本の未来に弊害をもたらしかねぬ論議を繰り広げるメディアは、ヒステリックと称すべき様相を呈している。
普天間基地の問題を巡る対応からして、アメリカの新大統領は日本で起こりつつある事態の重要性に全く気づいていないのがわかる。オバマとその側近たちは、安定した新しい日米の協力的な関係を築くチャンスを目の前にしておきながら、それをみすみすつぶそうとしている。それと引き換えに彼らが追求するのは、アメリカのグローバル戦略の中での、ごくちっぽけなものにすぎない。
当初は、世界に対する外交姿勢を是正すると表明したのとは裏腹に、オバマ政権の態度は一貫性を欠いている。このことは、アメリカ軍が駐留する国々に対するかかわりのみならず、アメリカの外交政策までをも牛耳るようになったことを物語っている。しかも対日関係問題を扱うアメリカ高官のほとんどは、国防総省の「卒業生」である。つまりアメリカの対日政策が、バランス感覚の欠如した、きわめて偏狭な視野に基づいたものであったとしても、少しも不思議ではないわけだ。

日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎 - カレル・ヴァン・ウォルフレン #4

小沢の価値

日本の新聞は、筆者の知る世界のいかなるメディアにも増して、現在何が起こりつつあるかについて、きわめて均質な解釈を行う。そしてその論評内容は各紙互いに非常によく似通っている。かくして、こうした新聞を購読する人々に、比較的大きな影響を及ぼすことになり、それが人々の心理に植えつけられるという形で、政治的現実が生まれるのである。このように、日本の新聞は、国内権力というダイナミクスを監視する立場にあるのではなく、むしろその中に参加する当事者となっている。有力新聞なら、いともたやすく現在の政権を倒すことができる。彼らが所属する世界の既存の秩序を維持することが、あたかも神聖なる最優先課題ででもあるかのように扱う、そうした新聞社の幹部編集者の思考は、高級官僚のそれとほとんど変わらない。
いまという我々の時代においてもっとも悲しむべきは、先進世界と呼ばれるあらゆる地域で新聞界が大きな問題を抱えていることであろう。商業的な利益に依存する度合いを強めた新聞は、もはや政治の成り行きを監視する信頼に足る存在ではなくなってしまった。日本の新聞はその点、まだましだ。とはいえ、日本の政治がきわめて重要な変化の時を迎えたいま、新聞が信頼できる監視者の立場に就こうとしないのは、非常に残念なことだ。これまで日本のメディアが新しい政府について何を報道してきたかといえば、誰の役にも立ちはせぬありふれたスキャンダルばかりで、日本人すべての未来にとって何が重要か、という肝心な視点が欠落していたのではないか。
なぜ日本の新聞がこうなってしまったのか、原因はやはり長年の間に染みついた習性にあるのかもしれない。普通、記者や編集者たちは長年手がけてきたことを得意分野とする。日本の政治記者たちは、長い間、自民党の派閥争いについて、また近年になってからは連立政権の浮沈について、正確な詳細を伝えようと鎬を削ってきた。
かつてタイで起きた軍事クーデターについて取材していた時、筆者はことあるごとに、バンコックに駐在していた日本人の記者仲間に意見を求めることにしていた。タイ軍内部の派閥抗争にかけて、日本人記者に匹敵する識見をそなえていたジャーナリストは他にいなかったからだ。したがって、鳩山政権が成立後、連立を組んだ政党との間に生じた、現実の、あるいは架空の軋轢に、ジャーナリストたちの関心が注がれたのは不思議ではなかった。まただからこそ、日本のメディアは民主党の閣僚たちの間に、きわめてわずかな齟齬が生じたといっては、盛んに書き立てるのだろう。自民党内部での論争や派閥抗争がジャーナリストたちにとって格好の取材ネタであったことは、筆者にもよく理解できる(筆者自身、角福戦争の詳細で興味深い成り行きを、ジャーナリストとして取材した)。なぜなら日本のいわゆる与党は、これまで話題にする価値のあるような政策を生み出してこなかったからだ。
小泉は政治改革を求める国民の気運があったために、ずいぶん得をしたものの、現実にはその方面では実効を生まなかった。彼はただ、財務省官僚の要請に従い、改革を行ったかのように振る舞ったにすぎない。だがその高い支持率に眼がくらんだのか、メディアは、それが単に新自由主義的な流儀にすぎず、国民の求めた政治改革などではなかったことを見抜けなかった。
彼が政権を去った後、新しい自民党内閣が次々と誕生しては退陣を繰り返した。自民党は大きく変化した国内情勢や世界情勢に対処可能な政策を打ち出すことができなかった。なぜなら、彼らには政治的な舵取りができなかったからだ。自民党の政治家たちは、単にさまざまな省庁の官僚たちが行う行政上の決定に頼ってきたにすぎない。ところが官僚たちによる行政上の決定とは、過去において定められた路線を維持するために、必要な調整を行うためのものである。つまり行政上の決定は、新しい路線を打ち出し、新しい出発、抜本的な構造改革をなすための政治的な決断、あるいは政治判断とは完全に区別して考えるべきものなのである。こうしてポスト小泉時代、新聞各紙が内閣をこき下ろすという役割を楽しむ一方で、毎年のように首相は代わった。
このような展開が続いたことで、日本ではそれが習慣化してしまったらしい。実際、鳩山政権がもつかどうか、退陣すべきなのではないか、という噂が絶えないではないか。たとえば小沢が権力を掌握している、鳩山が小沢に依存していると論じるものは多い。だがそれは当然ではないのか。政治家ひとりの力で成し遂げられるはずがあろうか。しかし論説執筆者たちは民主党に関して、多くのことを忘れているように思える。
そして山県有朋以降、連綿と受け継がれてきた伝統を打破し、政治的な舵取りを掌握した真の政権を打ち立てるチャンスをもたらしたのは、小沢の功績なのである。小沢がいなかったら、一九九三年の政治変革は起きなかっただろう。あれは彼が始めたことだ。小沢の存在なくして、信頼に足る野党民主党は誕生し得なかっただろう。そして昨年八月の衆議院選挙で、民主党が圧勝することはおろか、過半数を得ることもできなかったに違いない。
小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりであることは疑いない。ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない。
小沢はその独裁的な姿勢も含め、これまで批判され続けてきた。しかし幅広く読まれているメディアのコラムニストたちの中で、彼がなぜ現在のような政治家になったのか、という点に関心を持っている者はほとんどいないように思える。小沢がいなかったら、果たして民主党は成功し得ただろうか?
民主党のメンバーたちもまた、メディアがしだいに作り上げる政治的現実に多少影響されているようだが、決断力の点で、また日本の非公式な権力システムを熟知しているという点で、小沢ほどの手腕を持つ政治家は他には存在しないという事実を、小沢のような非凡なリーダーの辞任を求める前によくよく考えるべきである。
もし非公式な権力システムの流儀に影響されて、民主党の結束が失われでもすれば、その後の展開が日本にとって望ましいものだとは到底思えない。第二次世界大戦前に存在していたような二大政党制は実現しそうにない。自民党は分裂しつつある。小さな政党が将来、選挙戦で争い合うことだろうが、確固たる民主党という存在がなければ、さまざまな連立政権があらわれては消えていく、というあわただしい変化を繰り返すだけのことになる。すると官僚たちの権力はさらに強化され、恐らくは自民党政権下で存在していたものよりもっとたちの悪い行政支配という、よどんだ状況が現出することになろう。

日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎 - カレル・ヴァン・ウォルフレン #3

超法規的な検察の振る舞い

日本の検察当局に何か積極的に評価できる一面があるかどうか考えてみよう。犯罪率が比較的低い日本では、他の国々とは違って刑務所が犯罪者で溢れるということはない。つまり日本では犯罪に対するコントロールがうまく機能しており、また罰することよりも、犯罪者が反省し更生する方向へと促し続けたことは称賛に値する。また検察官たちが、社会秩序を維持することに純粋な意味で腐心し、勇敢と称賛したくなるほどの責任感をもって社会や政治の秩序を乱す者たちを追及していることも疑いのない事実だろう。しかしいま、彼らは日本の民主主義を脅かそうとしている。民主党の政治家たちは今後も検察官がその破壊的なエネルギーを向ける標的となり続けるであろう。
日本の超法規的な政治システムが山県有朋の遺産だとすれば、検察というイメージ、そしてその実質的な役割を確立した人物もまた、日本の歴史に存在する。平沼騏一郎(一八六七〜一九五二年、司法官僚・政治家)である。彼は「天皇の意思」を実行する官僚が道徳的に卓越する存在であることを、狂信的とも言える熱意をもって信じて疑わなかった。山県のように彼もまた、国体思想が説く神秘的で道徳的に汚れなき国家の擁護者を自任していた。マルクス主義、リベラリズム、あるいは単に民主的な選挙といった、あらゆる現代的な政治形態から国を守り抜くべきだと考えていたのである。
一九四五年以降も、平沼を信奉する人々の影響力によって、さまざまな点で超法規的な性格を持つ日本の司法制度の改革は阻止された。ある意味では現在の検察官たちの動きを見ていると、そこにいまなお司法制度を政府という存在を超えた至高なる神聖な存在とする価値観が残っているのではないか、と思わせるものがある。オランダにおける日本学の第一人者ウィム・ボートは、日本の検察は古代中国の検閲(秦代の焚書坑儒など)を彷彿させると述べている。
日本の検察官が行使する自由裁量権は、これまで多くの海外の法律専門家たちを驚かせてきた。誰を起訴の標的にするかを決定するに際しての彼らの権力は、けたはずれの自由裁量によって生じたものである。より軽微な犯罪であれば、容疑者を追及するか否かを含め、その人物が深く反省し更生しようという態度を見せるのであれば、きわめて寛大な姿勢でのぞむこともある。このようなやり方は、法に背きはしても、刑罰に処するほどではないという、一般の人々に対しては効果的であり、いくつかの国々の法執行機関にとっては有益な手本となる場合もあるだろう。
しかしある特定人物に対して厳しい扱いをすると決めた場合、容疑者を参らせるために、策略を用い、心理的な重圧をかけ、さらには審理前に長く拘禁して自白を迫る。検察官たちは法のグレーゾーンを利用して、改革に意欲的な政治家たちを阻もうとする。どんなことなら許容され、逆にどのようなことが決定的に違法とされるのかという区分はかなりあいまいである。たとえば、合法的な節税と違法な脱税の境界がさほど明確でない国もある。ところで日本にはさまざまな税に関する法律に加えて、きわめてあいまいな政治資金規正法がある。検察はこの法律を好んで武器として利用する。検察官たちの取り調べがいかに恣意的であるかを理解している日本人は大勢いる。それでもなお、たとえば小沢の支持者も含めて多くの人々が、彼が少なくとも「誠意ある態度」を示して、謝罪すべきだと、感じていることは確かだ。
これなどまさに、非公式な権力システムと折り合いをつけるために要請される儀礼行為とも言えるだろう。儀礼の舞台は国会であり、また民主党内部でもあり、国民全般でもある。新聞各紙は「世論が求めている」などと盛んに騒ぎ立てているが、本当のところはわからない。しかも詫びて頭を下げ、あるいは「自ら」辞任するとでもいうことになれば、そのような儀礼行為は、実際には非公式のシステムに対して行われるのである。
体制に備わった免疫システムは、メディアの協力なくしては作用しない。なぜなら政治家たちを打ちのめすのは、彼らがかかわったとされる不正行為などではなく、メディアが〓り立てるスキャンダルに他ならないからだ。検察官たちは絶えず自分たちが狙いをつけた件について、メディアに情報を流し続ける。そうやっていざ標的となった人物の事務所に襲いかかる際に、現場で待機しているようにと、あらかじめジャーナリストや編集者たちに注意を促すのだ。捜査が進行中の事件について情報を漏らすという行為は、もちろん法的手続きを遵守するシステムにはそぐわない。しかし本稿で指摘しているように、検察はあたかも自分たちが超法規的な存在であるかのように振る舞うものだ。

日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎 - カレル・ヴァン・ウォルフレン #2

官僚機構の免疫システム

明治以来、かくも長きにわたって存続してきた日本の政治システムを変えることは容易ではない。システム内部には自らを守ろうとする強力なメカニズムがあるからだ。一年ほど日本を留守にしていた(一九六二年以来、こんなに長く日本から離れていたのは初めてだった)筆者が、昨年戻ってきた際、日本の友人たちは夏の選挙で事態が劇的に変化したと興奮の面持ちで話してくれた。そのとき筆者は即座に「小沢を引きずり下ろそうとするスキャンダルの方はどうなった?」と訊ね返した。必ずそのような動きが出るに違いないことは、最初からわかっていたのだ。
なぜか? それは日本の官僚機構に備わった長く古い歴史ある防御機能は、まるで人体の免疫システムのように作用するからだ。ここで一歩退いて、このことについて秩序立てて考えてみよう。あらゆる国々は表向きの、理論的なシステムとは別個に、現実の中で機能する実質的な権力システムというべきものを有している。政治の本音と建前の差は日本に限らずどんな国にもある。実質的な権力システムは、憲法のようなものによって規定され制約を受ける公式の政治システムの内部に存在している。そして非公式でありながら、現実の権力関係を司るそのようなシステムは、原則が説くあり方から遠ざかったり、異なるものに変化したりする。
軍産複合体、そして巨大金融・保険企業の利益に権力が手を貸し、彼らの利害を有権者の要求に優先させた、この一〇年間のアメリカの政治など、その典型例だといえよう。もちろんアメリカ憲法には、軍産複合体や金融・保険企業に、そのような地位を確約する規定などない。
第二次世界大戦後の長い期間、ときおり変化はしても、主要な骨格のほとんど変わることがなかった日本の非公式なシステムもまた、非常に興味深いケースである。これまで憲法や他の法律を根拠として、正しいあり方を求めて議論を繰り広げても、これはなんら影響を受けることはなかった。なぜなら、どのような政治取引や関係が許容されるかは法律によって決定されるものではないというのが、非公式な日本のシステムの重要な特徴だからだ。つまり日本の非公式な政治システムとは、いわば超法規的存在なのである。
政治(そしてもちろん経済の)権力という非公式なシステムは、自らに打撃を与えかねない勢力に抵抗する。そこには例外なく、自分自身を防御する機能が備わっている。そして多くの場合、法律は自己防御のために用いられる。ところが日本では凶悪犯罪が絡まぬ限り、その必要はない。実は非公式な日本のシステムは、過剰なものに対しては脆弱なのである。たとえば日本の政治家の選挙資金を負担することは企業にとってまったく問題はない(他の多くの国々でも同様)。ところがそれがあるひとりの政治家に集中し、その人物がシステム内部のバランスを脅かしかねないほどの権力を握った場合、何らかの措置を講ずる必要が生じる。その結果が、たとえば田中角栄のスキャンダルだ。
また起業家精神自体が問題とされるわけではないが、その起業家が非公式なシステムや労働の仕組みを脅かすほどの成功をおさめるとなると、阻止されることになる。サラリーマンのための労働市場の創出に貢献したにもかかわらず、有力政治家や官僚らに未公開株を譲渡して政治や財界での地位を高めようとしたとして有罪判決を受けた、リクルートの江副浩正もそうだった。さらに金融取引に関して、非公式なシステムの暗黙のルールを破り、おまけに体制側の人間を揶揄したことから生じたのが、ホリエモンこと堀江貴文のライブドア事件だった。
いまから一九年前、日本で起きた有名なスキャンダル事件について研究をした私は『中央公論』に寄稿した。その中で、日本のシステム内部には、普通は許容されても、過剰となるやたちまち作用する免疫システムが備わっており、この免疫システムの一角を担うのが、メディアと二人三脚で動く日本の検察である、と結論づけた。当時、何ヵ月にもわたり、株取引に伴う損失補填問題を巡るスキャンダルが紙面を賑わせていた。罪を犯したとされる証券会社は、実際には当時の大蔵省の官僚の非公式な指示に従っていたのであり、私の研究対象にうってつけの事例だった。しかしその結果、日本は何を得たか? 儀礼行為にすぎなくとも、日本の政治文化の中では、秩序回復に有益だと見なされるお詫びである。そして結局のところ、日本の金融システムに新たな脅威が加わったのだ。
検察とメディアにとって、改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうなごく些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す。薬害エイズ事件で、厚生官僚に真実を明らかにするよう強く迫り、日本の国民から絶大な支持を得た菅直人は、それからわずか数年後、その名声を傷つけるようなスキャンダルに見舞われた。民主的な手続きを経てその地位についた有権者の代表であっても、非公式な権力システムを円滑に運営する上で脅威となる危険性があるというわけだ。
さて、この日本の非公式な権力システムにとり、いまだかつて遭遇したことのないほどの手強い脅威こそが、現在の民主党政権なのである。実際の権力システムを本来かくあるべしという状態に近づけようとする動きほど恐ろしいことは、彼らにとって他にない。そこで検察とメディアは、鳩山由紀夫が首相になるや直ちに手を組み、彼らの地位を脅かしかねないスキャンダルを叩いたのである。

日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎 - カレル・ヴァン・ウォルフレン #1

『中央公論』2010年4月号
日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎  
訳: 井上 実

いま日本はきわめて重要な時期にある。なぜなら、真の民主主義をこの国で実現できるかどうかは、これからの数年にかかっているからだ。いや、それ以上の意味がある。もし民主党のリーダーたちが、理念として掲げる内閣中心政権を成功裏に確立することができるならば、それは日本に限らず地球上のあらゆる国々に対し、重要な規範を示すことになるからである。それは我々の住む惑星の政治の流れに好ましい影響を与える数少ない事例となろう。
しかしながら、それを実現させるためには、いくつもの険しい関門を突破しなければなるまい。国際社会の中で、真に独立した国家たらんとする民主党の理念を打ち砕こうとするのは、国内勢力ばかりではない。アメリカ政府もまたしかりである。いま本稿で民主党の行く手を阻むそうした内実について理解を深めることは、よりよい社会を求める日本の市民にとっても有益なのではないかと筆者は考える。

政権交代の歴史的意味

各地で戦争が勃発し、経済は危機的な状況へと向かい、また政治的な機能不全が蔓延するこの世界に、望ましい政治のあり方を示そうとしているのが、他ならぬこの日本であるなどと、わずか数年前、筆者を含め誰に予測し得たであろうか。ところがその予測しがたいことが現実に起きた。初めて信頼に足る野党が正式に政権の座に就き、真の政府になると、すなわち政治の舵取りを行うと宣言したのだ。だが、民主党政権発足後の日本で起こりつつある変化には、実は大半の日本人が考えている以上に大きな意味がある、と筆者は感じている。
まず現代の歴史を振り返ってみよう。第二次世界大戦に続く三〇年に及んだ輝かしい経済発展期が過ぎると、日本は目標を見失い停滞し始めた。自分たちの生活が改善されているという実感を日本の人々は抱くことができなくなった。日本の政治システムには何か重要なもの、これまで歩んできた道に代わる、より希望に満ちた方向性を打ち出すための何かが、欠落しているように筆者には見えた。一九九三年のごく短い一時期、行政と政治的な意思決定が違うことをよく理解していた政治家たちは、日本に政治的な中心を築こうと改革を志した。しかしそのような政治家はきわめて少数であり、行政サイドからは全く支持が得られなかった。ただしいい面もあった。彼らは同じ志を持つ相手を見出した。そして後に政権の座に就く、信頼に足る野党の結成へと動き出したからである。
九三年、日本社会にも新しい意識が広がっていった。これまで長く求められてはいても実行されずにいた抜本的な改革が、実現可能であることがわかったからだ。以来、影響力のある政治家や評論家、ビジネスマンたちは、機会あるごとに、抜本的な政治改革の必要性を訴えるようになった。
小泉純一郎が大方の予想を裏切る形で自民党の総裁に選ばれた際、それがほぼ実現できるのではないかと、多くの人々は考えた。ところが、首相という立場ながら、セレブリティ、テレビの有名人として注目を集めた小泉の改革は、残念ながら見掛け倒しに終わった。結局のところ、日本の政治に、真の意味で新しい始まりをもたらすためには、自民党も、それを取り巻くあらゆる関係も、あるいは慣例や習慣のすべてを排除する必要があることが明らかになった。
チャンスは昨年八月、民主党が選挙で圧勝したことでようやく巡ってきた。そして九三年以来、結束してきた民主党幹部たちは、間髪を入れず、新しい時代を築くという姿勢をはっきりと打ち出したのだった。
民主党が行おうとしていることに、一体どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きにするための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。そして民主党は、山県有朋(一八三八〜一九二二年、政治家・軍人)によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)という、この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。
山県は、慈悲深い天皇を中心とし、その周辺に築かれた調和あふれる清らかな国を、論争好きな政治家がかき乱すことに我慢ならなかったようだ。互いに当選を目指し争い合う政治家が政治システムを司るならば、調和など失われてしまうと恐れた山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。
山県は、ビスマルク、レーニン、そしてセオドア・ルーズベルトと並んで、一〇〇年前の世界の地政学に多大な影響を与えた強力な政治家のひとりとして記憶されるべき人物であろう。山県が密かにこのような仕掛けをしたからこそ、日本の政治システムは、その後、一九三〇年代になって、軍官僚たちが無分別な目的のために、この国をハイジャックしようとするに至る方向へと進化していったのである。山県の遺産は、その後もキャリア官僚と、国会議員という、実に奇妙な関係性の中に受け継がれていった。
いま民主党が自ら背負う課題は、重いなどという程度の生易しいものではない。この課題に着手した者は、いまだかつて誰ひとり存在しないのである。手本と仰ぐことが可能な経験則は存在しないのである。民主党の閣僚が、政策を見直そうとするたび、何らかの、そして時に激しい抵抗に遭遇する。ただし彼らに抵抗するのは、有権者ではない。それは旧態依然とした非民主主義的な体制に、がっちりと埋め込まれた利害に他ならない。まさにそれこそが民主党が克服せんと目指す標的なのである。
明治時代に設立された、議会や内閣といった民主主義の基本的な機構・制度は、日本では本来の目的に沿う形で利用されてはこなかった。そして現在、政治主導によるガバナンスを可能にするような、より小さな機構を、民主党はほぼ無から創り上げることを余儀なくされている。これを見て、民主党の連立内閣の大臣たちが手をこまねいていると考える、気の短い人々も大勢いることだろう。たとえば外務省や防衛省などの官僚たちは、政治家たちに、従来の省内でのやり方にしたがわせようと躍起になっている。
彼らが旧来のやり方を変えようとしないからこそ、ロシアとの関係を大きく進展させるチャンスをみすみす逃すような悲劇が早くも起きてしまったのだ。北方領土問題を巡る外交交渉について前向きな姿勢を示した、ロシア大統領ドミトリー・メドヴェージェフの昨年十一月のシンガポールでの発言がどれほど重要な意義を持っていたか、日本の官僚も政治家も気づいていなかった。官僚たちの根強い抵抗や、政策への妨害にてこずる首相官邸は、民主党の主張を伝えるという、本来なすべき機能を果たしていない。民主党がどれだけの成果を上げるかと問われれば、たとえいかに恵まれた状況下であっても、難しいと言わざるを得ないだろう。しかし、旧体制のやり方に官僚たちが固執するあまり、生じている現実の実態を考えると、憂鬱な気分になるばかりだ。