2011年2月13日日曜日

日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎 - カレル・ヴァン・ウォルフレン #1

『中央公論』2010年4月号
日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎  
訳: 井上 実

いま日本はきわめて重要な時期にある。なぜなら、真の民主主義をこの国で実現できるかどうかは、これからの数年にかかっているからだ。いや、それ以上の意味がある。もし民主党のリーダーたちが、理念として掲げる内閣中心政権を成功裏に確立することができるならば、それは日本に限らず地球上のあらゆる国々に対し、重要な規範を示すことになるからである。それは我々の住む惑星の政治の流れに好ましい影響を与える数少ない事例となろう。
しかしながら、それを実現させるためには、いくつもの険しい関門を突破しなければなるまい。国際社会の中で、真に独立した国家たらんとする民主党の理念を打ち砕こうとするのは、国内勢力ばかりではない。アメリカ政府もまたしかりである。いま本稿で民主党の行く手を阻むそうした内実について理解を深めることは、よりよい社会を求める日本の市民にとっても有益なのではないかと筆者は考える。

政権交代の歴史的意味

各地で戦争が勃発し、経済は危機的な状況へと向かい、また政治的な機能不全が蔓延するこの世界に、望ましい政治のあり方を示そうとしているのが、他ならぬこの日本であるなどと、わずか数年前、筆者を含め誰に予測し得たであろうか。ところがその予測しがたいことが現実に起きた。初めて信頼に足る野党が正式に政権の座に就き、真の政府になると、すなわち政治の舵取りを行うと宣言したのだ。だが、民主党政権発足後の日本で起こりつつある変化には、実は大半の日本人が考えている以上に大きな意味がある、と筆者は感じている。
まず現代の歴史を振り返ってみよう。第二次世界大戦に続く三〇年に及んだ輝かしい経済発展期が過ぎると、日本は目標を見失い停滞し始めた。自分たちの生活が改善されているという実感を日本の人々は抱くことができなくなった。日本の政治システムには何か重要なもの、これまで歩んできた道に代わる、より希望に満ちた方向性を打ち出すための何かが、欠落しているように筆者には見えた。一九九三年のごく短い一時期、行政と政治的な意思決定が違うことをよく理解していた政治家たちは、日本に政治的な中心を築こうと改革を志した。しかしそのような政治家はきわめて少数であり、行政サイドからは全く支持が得られなかった。ただしいい面もあった。彼らは同じ志を持つ相手を見出した。そして後に政権の座に就く、信頼に足る野党の結成へと動き出したからである。
九三年、日本社会にも新しい意識が広がっていった。これまで長く求められてはいても実行されずにいた抜本的な改革が、実現可能であることがわかったからだ。以来、影響力のある政治家や評論家、ビジネスマンたちは、機会あるごとに、抜本的な政治改革の必要性を訴えるようになった。
小泉純一郎が大方の予想を裏切る形で自民党の総裁に選ばれた際、それがほぼ実現できるのではないかと、多くの人々は考えた。ところが、首相という立場ながら、セレブリティ、テレビの有名人として注目を集めた小泉の改革は、残念ながら見掛け倒しに終わった。結局のところ、日本の政治に、真の意味で新しい始まりをもたらすためには、自民党も、それを取り巻くあらゆる関係も、あるいは慣例や習慣のすべてを排除する必要があることが明らかになった。
チャンスは昨年八月、民主党が選挙で圧勝したことでようやく巡ってきた。そして九三年以来、結束してきた民主党幹部たちは、間髪を入れず、新しい時代を築くという姿勢をはっきりと打ち出したのだった。
民主党が行おうとしていることに、一体どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きにするための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。そして民主党は、山県有朋(一八三八〜一九二二年、政治家・軍人)によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)という、この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。
山県は、慈悲深い天皇を中心とし、その周辺に築かれた調和あふれる清らかな国を、論争好きな政治家がかき乱すことに我慢ならなかったようだ。互いに当選を目指し争い合う政治家が政治システムを司るならば、調和など失われてしまうと恐れた山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。
山県は、ビスマルク、レーニン、そしてセオドア・ルーズベルトと並んで、一〇〇年前の世界の地政学に多大な影響を与えた強力な政治家のひとりとして記憶されるべき人物であろう。山県が密かにこのような仕掛けをしたからこそ、日本の政治システムは、その後、一九三〇年代になって、軍官僚たちが無分別な目的のために、この国をハイジャックしようとするに至る方向へと進化していったのである。山県の遺産は、その後もキャリア官僚と、国会議員という、実に奇妙な関係性の中に受け継がれていった。
いま民主党が自ら背負う課題は、重いなどという程度の生易しいものではない。この課題に着手した者は、いまだかつて誰ひとり存在しないのである。手本と仰ぐことが可能な経験則は存在しないのである。民主党の閣僚が、政策を見直そうとするたび、何らかの、そして時に激しい抵抗に遭遇する。ただし彼らに抵抗するのは、有権者ではない。それは旧態依然とした非民主主義的な体制に、がっちりと埋め込まれた利害に他ならない。まさにそれこそが民主党が克服せんと目指す標的なのである。
明治時代に設立された、議会や内閣といった民主主義の基本的な機構・制度は、日本では本来の目的に沿う形で利用されてはこなかった。そして現在、政治主導によるガバナンスを可能にするような、より小さな機構を、民主党はほぼ無から創り上げることを余儀なくされている。これを見て、民主党の連立内閣の大臣たちが手をこまねいていると考える、気の短い人々も大勢いることだろう。たとえば外務省や防衛省などの官僚たちは、政治家たちに、従来の省内でのやり方にしたがわせようと躍起になっている。
彼らが旧来のやり方を変えようとしないからこそ、ロシアとの関係を大きく進展させるチャンスをみすみす逃すような悲劇が早くも起きてしまったのだ。北方領土問題を巡る外交交渉について前向きな姿勢を示した、ロシア大統領ドミトリー・メドヴェージェフの昨年十一月のシンガポールでの発言がどれほど重要な意義を持っていたか、日本の官僚も政治家も気づいていなかった。官僚たちの根強い抵抗や、政策への妨害にてこずる首相官邸は、民主党の主張を伝えるという、本来なすべき機能を果たしていない。民主党がどれだけの成果を上げるかと問われれば、たとえいかに恵まれた状況下であっても、難しいと言わざるを得ないだろう。しかし、旧体制のやり方に官僚たちが固執するあまり、生じている現実の実態を考えると、憂鬱な気分になるばかりだ。